海と歴史とロマンの島“佐渡”


尖閣湾の限りなく透明に近い濃いブルーの水の色





 数年前、司馬遼太郎の長編小説「胡蝶の夢」を読んでからいつかは佐渡に行ってみたいと思っていた。
とは言っても遠く離れた新潟県,しかも日本海に浮かぶ島となるとなかなか行けるところではない。

育児休暇と産休の長女と次女に旅に誘われて、どこに行きたいか尋ねられ
「いっぺん佐渡へ行ってみたかったのよね。」
の一言で決まった。

 小さな孫二人と一緒に2014年9月9日早朝の飛行機で新潟へ、それからジェットフォイルで佐渡両津港へ。11時半に到着。あっけない程早く着いてしまって、江戸末期、主人公伊之助の江戸へ、そして長崎への苦難の旅が嘘のよう。

 “佐渡は、越後からみれば波の上にある。”
始まりの文そのままにジェットフォイルから佐渡が見えた時、小説の中の風景を思い描いて胸が高鳴る。

 両津港でチャイルドシートとベビーシートを装着したレンタカーに乗り込んで出発。一昨日開催されたトライアスロン大会のおかげで昨日までは賑やかだったそうだが今日は人影もまばらで静かな街並みである。
 

 まず島の上半分をドライブすることにする。人家が少なく、コンビニ、ガソリンS,信号もない道を景勝地二ツ亀まで34km走る。たまに小さな家を見つけると生活のことが心配になる。買い物は?、ガソリンは?、仕事は?。漁港には不向きの切り立った岩の海岸線、農地も少ないし…道路工事にだけは時々出くわして工事の人たちが唯一の人影。公共工事がここいらの人たちの生活を支えているのかしらとさびしくなる。

 透き通った海と巨岩の二ツ亀を出ると相川まで46q。日本海側の切り立った海岸線のを走っていると、こんな所に一人や二人でいたら北朝鮮に拉致されても分からないだろうなと思う。人影のない濃いブルーに包まれた美しすぎる景色が凄みをおびてくる。

 だんだんと開けてきて、現代社会の香りがしてきて相川に入る。
復元された佐渡奉行所を見学する。1601年の佐渡金山の開山に伴い、佐渡は幕府直轄の天領(幕府の直轄地)となり、相川に奉行所が置かれたのだった。ボランティアの男性の熱の入った説明に2歳半の孫が
「ふーん、そうか。」「これなにー?」
と興味津々でついてまわるので笑いをこらえるのが大変だった。
通ってきた海外線沿いの小さな家々を見た目には奇異に思えるほど豪華な復元建造物だった。

 一泊目は夕日が自慢の七浦海岸の民宿敷島荘。海外線スレスレの雲に邪魔されて日の入りを見ることが出来なかった。ちょうど十五夜で見事な月が海を照らしていた。月を眺めながら海岸を散歩したかったが、北朝鮮に拉致されそうなので辞めにする。豪勢な魚料理がうんざりするほど並んだ。おかげで夜中のどが渇いて仕方がなかった。
早朝、防波堤を散歩してイカ釣り船やウミネコを見物してきた。

 二日目は真野湾から小木まで40q走ってたらい舟に乗った。すげ笠をかぶって絣の着物すがたの女性が大きなたらいを櫂一本で器用に操る。私もやってみたが全然進まない。孫の方が私より筋がよさそうだった。小回りの利くたらい舟は現在でも磯漁に使われているとのこと。

 宿根木は「千石船と船大工の里」として国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。細い川の両脇にびっしり家が立ち並んでその間を狭い路地が迷路のように走る。三角家と呼ばれる狭い地形に合わせて建てられた家はまるで船のような形をしている。公開民家の「清九朗の家」は廻船主の往時の豪勢な生活がしのばれる。

 佐渡太鼓体験交流館はかなり高台にあって見晴らしがとても良い。鼓童の本拠地になっていてここから国内外へ公演旅行に出かけているのだ。練習場には大小さまざまな和太鼓が並んでいて実際練習できるのだが、要予約ということで先客がいて体験できなかった。

 佐渡歴史伝説館の美しい庭園を見ながら昼食にする。佐渡に流された順徳天皇、日蓮上人、世阿弥の三人の数奇な半生を動く人形で、それはリアルに紹介してある。

売店で北朝鮮に拉致されていたジェンキンスさんが煎餅を売って働いていた。日本語の解らないジェンキンスさんの暗い表情を遠目で見て近寄れずにいたが、「告白」という彼の書いた文庫本の横に“ジェンキンスさんがサインをしてくれます。”という張り紙を見つけて、本を手に取って彼に近づくとすぐにサインしてくれた。いっしょに写真も写ってくれて嬉しくなって彼が売っている煎餅も買うことにする。売り上げの2%が拉致被害者救済活動に寄付されるという。
ジェンキンスさんとの写真を諦めて先に出ていた娘たちも戻ってきて煎餅を買って、一緒の写真を早速それぞれ写メで旦那さんに送った。長女は
「これで佐渡にきた甲斐があった」
と言って大喜びする。母娘ともどもミーハーそのもの。

 “真野鶴”の蔵元で酒の試飲をする。辛口、甘口ぐらいしか判らない下戸同然の私が試飲しても仕方のないことだが、授乳中と妊娠中の娘たちに代わってがんばったものの、美味しさは当然のごとく判らない

 “胡蝶の夢”の伊之助がわずか11歳で才能を認められ江戸へ出る時、その朝、暗いうちから見送りの親類縁者や近所のひとびとがあつまり、重箱に煮しめなどを詰め、酒などを持ち寄り、別れを惜しむ。いかにも心優しい風習がそのまま残っているような真野の町並みである。

 旧相川裁判所後の建物を借りて開館した佐渡版画村美術館は高橋信一氏の作品を中心にした会員の作品を多数展示してあって見ごたえがあった。佐渡の人たちの芸術性の高さが伺われる。
 

 2泊目は“吾妻ホテル”。七千坪の芝庭園の向こうはすぐ海で、部屋から最高の見晴らしが楽しめる。夕日を見ながら露天風呂に入ると景色の美しさに言葉を失いそう。昨夜の民宿とは違う上品な魚料理に感激する。
“…でございます。”
と説明して運ばれる料理。最後の味噌汁が黙って出されたので孫が
“これは?”
“味噌汁でございます。” 
気味が悪い程おとなしく食事をする孫の態度に、やはり小さな子供でも場所柄をわきまえて感じ取るのだなと大人たちは感心する。

夜はロビーで民謡と踊りのミニライブがあり、最後にはやはり佐渡おけさ踊りの体験があって盛り上がった。もちろん私も加わって頑張ったがとうとう最後まで覚えられなかった。

 3日目、尖閣湾へ行き海中透視船(グラスボート)に乗る。荒削りの断崖と岩礁の海岸線を見ながら岩をすり抜けるように船で進むのだが次女が船酔いをしてしまう。多数のウミネコがいてカッパエビセンをエサとして売ってある。投げると魚まで集まって大変な騒ぎになる。

 佐渡といえば金山、行かずばなるまいと“宗太夫坑コース”に行く。人間の欲、金への執着のすさまじさを目で見ることが出来る。

 昼食を町の普通のカフェで食べた。“もう魚は結構。”“普通の料理が食べたいよう。”
2時過ぎのジェットフォイルで佐渡を離れた。帰りも青空で穏やかな海を飛ぶように時速80kで走る。
 新潟港のすぐそばにある朱鷺メッセ31階“ばかうけ展望台”から新潟市内を見物する。
また今度は新潟やその周辺を旅してみたいと思いつつ空港に向かった。



二ツ亀の遊歩道を歩く。

暑さも海風に飛んでゆく。

奉行所で熱く語るボランティアガイドにいちいち頷いて聞き入る2歳5か月の孫
金の選別作業の再現


朝の七浦海岸に沈んでゆく十五夜の月

朝焼けをバックにしたイカ釣り舟
たらい舟
宿根木の狭い路地。狭い川の両脇にびっしりと家が立ち並んでいる。


三角家は吉永小百合のポスターに使わ
れた。後ろは町並み保存のスタッフ。

軒先に置いてある石像。
何とも微笑ましいカップル。
清九郎の家の居間。漆塗りの床が荘厳。
珍しい仏壇。
上に松竹梅の透かし飾りがある。

すぎ板張りの屋根。
鬼瓦は大黒様。廻船舟主の商魂。


佐渡太鼓体験交流館

ジェンキンスさんと。
銘酒の酒蔵で 荘厳な日の入り

びりびり響く高音に圧倒される。
佐渡おけさの踊り


美しい日本海


半端ではない透明度。


朱鷺メッセの31階展望室から見た海に伸びる信濃川





topへ  next