黄山と西逓・宏村の旅



2018年3月21日〜24日
 広い上海空港は暗雲立ち込め冷たい風が吹き荒れていた。
大型バスにツァー客9人と添乗員、ガイドが乗り込んで安徽省、屯渓を目指して高速を5時間走る。
夜中11時過ぎにホテルに到着。

中国人の喧噪渦巻くホテルのバイキング朝食を済ませ、黄山目指して出発。早朝の屯渓の街は霧に包まれて私の頭の中みたいにどんよりしていた。

街中を抜けると太陽が顔を出して青空が広がってきた。

黄山近くでシャトルバスに乗り換えてロープウエイ乗り場へ。

昨日の雪が松に樹氷をつけて青空に輝いているのが見えてくると、ロープウェイの中から歓声が上がる。
“今までで今日の天気が最高です!”
ガイドの声が弾んだ。なんと625回目だそうな。




山頂から始信峰を目指して岩を削って造られた急な階段を登ったり降ったり。雪が凍り付いていて滑りそうでおっかなびっくり。
“黄山を見ずして山を見たと言うなかれ。”
中国人にこよなく愛される黄山は平日でもかなりの混雑ぶり。危険な足場の上でも平気でいつまでもポーズをとり、大声ではしゃぐ。おかげでなかなか前に進めない。山岳パトロールが警笛をビリビリ吹き鳴らしても平気。

山頂ホテルのレストランで昼食。食材をロープウェイの駅から3500段、天秤棒で強力さんが運んでいる。なんと100kg!痩せて日焼けした強力さんの肩に食い込んだ棒は重さでしなっている。日当が4500円だと聞いて中国の格差社会を実感する。山登りを楽しんでいる人たちはニコンカメラを持ち、ブランドウェアを着ているのに...。


2日目、屯渓郊外の古い村を訪ねる。
まず西逓へ。600年の歴史を誇り世界文化遺産に登録されている。村の周囲には学生や画家の卵が大勢デッサンや写生をしていた。
 村の中に入ると99の通路が入り組んでいてまるで迷路のよう。迷子にならないようにガイドが注意する。通路の両側には商家、民家、役所、質屋、郵便局、祠がたちならんで、現在それらはほとんどが土産物店やカフェになっている。

昼食の後、宏村へ。
宏村は大きな池が特徴で、新芽をつけた柳が揺れている様子はまさに“江南の春”の景色そのもの。
池の真ん中にかかる橋を渡って中に入ると、ここも狭い通路が入り組み、しかも水路まである。

水路で野菜を洗い、通路に干して、壁には塩漬けのブタを吊るし、それらを調理して食堂で供する。

歩くのがやっとの狭い通路を電気自転車がやかましく警笛を鳴らして抜けていく。干物を並べた土産物屋の屋台の上には洗濯物が干してあり、後ろの壁には塩ブタが吊るしてあって、店主のおばさんは客の目を気にせず昼ご飯を夢中で食べている。彼らのバイタリティーに圧倒される。

金持ちの家の奥まった場所に第一夫人と第二夫人の部屋が並んでいて、その暗い部屋で纏足をした女性が暮らしていたのだと思うと気が滅入ってきた。







安徽省の美術館にずらりと近年の権力者たちの黄山登山の写真が並んでいた。

 
 
夜には屯渓の街に歩いていく。ホテルから15分ほどで大きなスーパーマーケットやショップが並んだ近代的な通りに出る。食料品、服、電化製品、ブランド品等、日本の都会とほとんど遜色ない。ただ一歩外れるとまだ数十年前の日本の町角のようだった。
 

 やっと 朝食バイキングのすさまじい風景にも慣れ、運ばれる料理をさっさと取ってコーヒーにもありつけるようになった3日目、帰国の日になった。
  
 往路は真っ暗で何も見えなかったが帰りのバスの中から見る景色に感動する。
頂上まで続く黄山茶の段々畑の緑と菜の花の黄色、桜や桃の花、畑で働く農家の人々。まるで桃源郷のような景色がいつまで残るのか。

一人っ子政策で大事にそだてられた子供が段々畑の後継者になろうと思うだろうか、もし思ったとしても段々畑を維持できる人数が足りなくなるはず。あと10年もすれば多分変わってしまうだろう。

上海に近づくにつれ空が段々暗くなっていく。

バスから高層マンションがいつまでも見える。
まだまだ膨張する上海。そしてあの美しい田舎の景色も次第に呑み込まれていくんだろうなと寂しい気持ちになってしまった。
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